Petitmaman・anje
プチママン・アンジェ
ママたちの挑戦を後押ししたい
「プチママンとは?」を開いてくださりありがとうございます。
あなたは、プチママンのことを友人から聞かれて、ここにお越しいただけたのでしょうか?
もしくは、検索やチラシをみてたどり着かれたのでしょうか?
はじめまして、ママと子どもが安心して過ごすことのできる世の中をつくる「プチママン・アンジェ」の代表・上原拓也(うえはら たくや)です。
一般社団法人 プチママン・アンジェは、創始者である上原美津子(うえはらみつこ)が2015年に設立いたしました。
設立の経緯や思いについて、以下のようにお伝えしております。
プチママン・アンジェはこれまで、子育てに悩むママや子育てをしながら色々な活動に挑戦するママと向き合い、ママと子どもが楽しくホッとできる空間をつくってきました。
プチママンとしての活動は、2006年6月から始まりました。
2015年には一般社団法人プチママン・アンジェとして法人化を果たしました。
これまでにはキッズルーム付きカフェ「プチママン カフェ」やママ達によるママたちのための演奏会、ママたちの仲間づくりの講座として子育て支援プロジェクト、女性の起業支援などを行い、13年間で、1000人以上のママと話をし、向き合ってきました。
プチママン・アンジェが13年の間、ママと関わってこれたのは、プチママン・アンジェを信頼してくださったママたちが、プチママン・アンジェのことを多くの方にご紹介くださったからでした。
本当に感謝しています。
ママたちが楽しくホッとできる空間をつくりたい。
ここからは、「これまでのプチママン・アンジェ」や「プチママン・アンジェの想い」について少しお話しさせてください。
私は現在のプチママンアンジェを立ち上げる前は、栃木県宇都宮市の保育士を29年間しておりました。
先ほど13年間で1000人以上のママと関わってきたと述べましたが、保育士時代を合わせると、3000人以上のママたちと関わってきました。
(このように数字に置き換えて考えると自分でも驚きの数字です。)
保育園の先生時代
私が定年退職の前に、プチママン・アンジェを始めたのには理由があります。
はじめは、子育て支援サロン『プチママン』をオープンさせました。
そのきっかけは、保育士時代のあるママの一言からでした。
当時の私はママ達の相談を受けたり、遊びの指導、イベント企画等とてもやりがいのある仕事をしていました。
その中でいちばん力を入れていたのは「Nクラブ」と呼ばれる、ことばの遅れ等のハンデを持つ辛い子育てをしているママのサポートでした。
ある日「先生(上原)、私と同じように発達に遅れを持った親子が来ているこの場所には安心して来られるけど、ここがお休みの時はどこに行ったらいいんでしょう。どこにも行くところがないんです。」
その一言で決心しました。
「親子で安心して集える場所を提供してあげたい!」
「ママのストレス解消ができるゆったりとした癒しの場所で、美味しいものを食べながらママたち同士いっぱいおしゃべりをして欲しい。」
そして、「家に帰ったら子どもをギュッと抱き締めてもらいたい!」
そんな想いが、溢れてしまったのです。
自分も悩んでいたからこそ、とっても共感した。
私は3人の子どもを育てました。
かつて私もその当時のママさんが悩んでいたように、子育てに悩んだことがありました。
私の子どもは言葉の発達が少し遅かったり、ぜんそくを持っていたりということがありました。
自分の子育てが大変だったからこそ、同じ悩みを持つママ達の悩みに共感できたのです。
その時の私はママたちを自分の娘や孫をみているようだったと記憶しています。
とにかく役に立てることをしてあげたいというまっすぐな気持ちでした。
親戚のような子育てを目指してカフェをオープン
役に立てることとして思いついたのが、キッズルーム付きカフェでした。
「思ったらすぐに行動!」というタイプの私は、早速準備に取り掛かりました。
場所は、どこかのテナントではなく、自宅を改装しました。
自宅を改装した理由には、ママたちと柔軟に関わることができると思ったからです。
そうしてキッズルーム付き「cafe プチママン」は2006年の6月5日にオープンしました。
「cafe プチママン」では、ランチはもちろんのことキッズルームがついていたのでママたちはゆっくりと食事をすることができました。
このカフェに訪れるママたちの中には、転勤によって栃木県宇都宮市に引っ越してきた人も多くいました。
そんなママたちはご飯を食べながら、日々の子育ての悩みや日常生活での悩みを共有ました。
共有を重ねることで、仲は深まり仲間になっていきました。
転勤のママたちは、近くに自分の両親がいないため預けることができませんでした。
だからこそこの「cafe プチママン」とそこに集まる仲間たちが助け合いの子育てをし、まるで親戚のようなでした。
はじめは、発達が少し遅れているママたちとの関わりが多くありましたが、そうではないママたちも悩んでいることがわかりました。
そこで、ママたちの仲間作りができる講座としての「子育て支援プログラムインストラクターの養成講座」を開催し県内に約40名の講師の養成をしました。
「cafe プチママン」は、しばらくの間たくさんの親子で賑わっていましたが、大きな変化が起こったのは、2011年でした。
「cafe プチママン」にて子どもたちが遊ぶ様子
東日本大震災で一度は、危機的状況に
大きな変化が起こったのは、2011年3月11日に起こった東日本大震災でした。
栃木県や宇都宮市は東北地方に比べ、大きな被害はあまりありませんでしたが、問題は放射能でした。
放射能を気にしたママたちは、子どもと一緒に外に出歩く機会が少なくなり、お店にはほとんど人が来なくなりました。
この頃、もっと多くのママと子どもを元気にしたいと思い、自宅からカフェを別の店舗に移していました。
「よし、さらに頑張っていこう!」という矢先の、自然災害で、私の心はすり減っていきました。
そんな状況であっても、お店は毎月支払わなければならないお金もあります。
そしてそれ以上に、私が気にしていたのは、ママたちとその子どものことでした。
今までは、外に出て活動できて以下けれど、そんな状況ではありませんでした。
こんな状況の今だからこそ、自分にできることはないかと毎日考える日々です。
その状況をさらに悪化させる出来事が起こりました。
私が、体調を崩したのです。
震災による直接的影響に加え、新しいお店のことやママたちのことを考えすぎた結果、疲労が限界を越してしまったのです。
カフェはママのセミナーを開催できる場所になる
2011年の10月になると、体調もよくなり、ママさんたちがじょじょに戻ってきました。
そしてそこに戻ってきたママたちは、とっても力強い人が多くいました。
自分で挑戦してみたいことや想いを持っていました。
だから私は、そんなママの想いを行動として実現する場所としてカフェを活用することを決めます。
ママたちがやりたいことをセミナーにして募集をかけました。
それからの毎日というもの、カフェを経営しながら、Facebookにセミナーの情報をアップして、集客まで行います。
この頃のカフェには毎日多くの人がきて、賑わいを見せていました。
ときにはカフェ経営にキッズルームなどの託児、イベントの集客など大変なことも多々ありました。
しかし自分の願っていた「ママと子どもが楽しくホッとできる空間」をつくれていることに大きな充実感を感じていました。
2014年の2月22日には「ママパパフェスタ」を開催し、1500人の親子の動員をしました。
(このときに講座を開講していたママさんの中で現在も活躍されている人をみると本当に嬉しい気持ちになります。)
自分がやるから育てるへ!
2011年から新生「cafe プチママン」が始まり、ママのセミナーを支援する活動が加わり、2014年まで盛り上がりを見せました。
しかしこのカフェは2014年をもって閉めることになったのです。
きっかけは、読売新聞の全国版に掲載されたことでした。
「やりきった!自分の目指していたものは達成できた!」と思うことができたのです。
「ママと子どもが楽しくホッとできる空間」を目指してはじめた活動は、多くのママたちを元気にし、プチママから元気をもらったママたちがまた素敵であたたかい空間を自分たちの分野で作っていきました。
そして2006年に描いた私の小さな想いが、社会に認められたと実感できたのがこの2014年の全国版に掲載されたことでもありました。
またこの頃、疲労が蓄積していたという側面もありました。
カフェ経営、託児、イベント集客と多くのことに取り組みは、やりがいと同時に疲労の蓄積も大きかったのです。
当時は、がむしゃらであったゆえに気づきませんでしたが、今だからこそ振り返ってそう思います。
「cafe プチママン」を閉めた私は、今までの経験を生かし、自分がプレイヤーとして活躍することから、活躍したいママたちを応援し、育てていくことに自分の方向性を定めていきました。
ママの生きがいや挑戦を後押しし、
自分のような想いを持ったママたちを育てたい。
今までの活動を一度見直し、プチママンは2015年から方向性を変えました。
宇都宮大学での「起業」に関する講義を受講することによって、新しい出会いやアイデアも生まれました。
そして、2015年に一般社団法人プチママン・アンジェとして法人化をさせます。
キーワードは、「ママを笑顔に」と「女性のプチ起業支援」です。
「泣いたり、怒っていては、家族は笑顔にならない。」
これは私が長年この仕事をしていて感じていることです。
だからこそ家族を笑顔にし、幸せにするためにママにできることは、ママの生きがいを創出することだと思います。
そんなママの生きがいをつくるために、私は活動をしています。
今までもママたちの仲間づくりの講座として子育て支援プログラムを開講したり、家で音楽会を開催したりしてきましたが、今度は私が開催するのではなく、開催したいママたちの一歩目を後押しし、応援することが私の仕事です。
そしてもう一つが、「プチ起業」などの挑戦です。
これは「cafe プチママン」をやっていた頃のセミナーの支援からつながっています。
「挑戦してみたいことはあるけれど、何からすればいいかわからない。」
「考えてみて、やることも決まったけど、はじめの一歩が不安で踏み出せない。」
そのような悩みをもつママには、私の経験を話したり、できるアドバイスをします。
そうして一歩目を踏み出せる後押しをするのが私の仕事です。
最終的にやるかやらないかはあなた自身です。
でも一歩目は誰しも不安だし、怖いものです。
私もそうでした。
だからこそ、私のできることをママたちにしてあげたいんです。
私の小さな想いから始まった活動によって、多くのママさんたちが一歩を踏み出しました。
そしてママたち自身が生きがいとやりがいを感じ、家族が幸せになっていきました。
それだけではありません。
ママたちの活動は、多くの他のママにも勇気や元気を与えました。
大きなことなことはできていないかもしれません。
しかし確実に変化し、良くなっている光景が私の目の前には広がっています。
だからこそ次は、私のような想いを持ったママたちを応援し、支援し、一人も多くの人を育てていければなと考えています。